聴覚障害者の方を中心にこれまでスポットライトを当ててきましたが、今回は聴覚障害者の「聞こえるきょうだい」についてスポットライトを当てたいと思います。
「聞こえない」きょうだいを持つ、「聞こえる」きょうだいは、どのような悩みや葛藤を抱えているのでしょうか?
今回は、「きょうだい児だったから弁護士になった」と話す藤木和子弁護士が、なぜ弁護士になったのか、「聞こえるお姉ちゃん」として悩んだことなどをご紹介いたします。
“きょうだい児・者”SODAとは?

“きょうだい児”や“きょうだい者”とは、「聞こえないきょうだいを持つ聞こえる人」のことです。
きょうだい児・者のことをSODA(ソーダ:Siblings of Dear Adults/Children)と言います。
SODAの人数は全国的に何人くらい居るのかまで把握されていませんが、聞こえない子供約1,000人に1人(約10〜12万人)と考えると、人口調査上のきょうだい数が平均2人前後なので、そこから考えるとSODAの人数は、聞こえない子供とほぼ同数、あるいは倍程度の人数が居ると考えられます。
きょうだい児・者の課題や悩みとなるのが、聞こえること・聞こえないことで起こる、きょうだい間の不平等・不公平です。
例えば、SODAが頑張ってテストで90点をとっても、「聞こえるから当たり前でしょ?100点をとりなさい」とされてしまったり、一方で聞こえないきょうだいが70点をとったら、「聞こえないのに頑張ったね」と褒められる。
また、コミュニケーション上の配慮や調整が必要になるため、SODAが聞こえないきょうだいに対して、「聞こえるから」助けてあげて当たり前とされてしまうことも多くあります。
多くのSODAが、聞こえる・聞こえない関係なく、ありのままの存在として認めて欲しいと願っています。
難聴の弟を持つ弁護士、藤木和子弁護士とは

弁護士の藤木和子さんは、聴覚障害の弟を持つSODAです。
「聞こえるお姉ちゃん」が、なぜ弁護士を目指したのか?ここからは、藤木さんが弁護士を目指した理由や、悩み抜いた経緯についてご紹介いたします。
弁護士である前に“きょうだい児・者”
藤木和子さんが“きょうだい児”になったのは、5歳のときでした。
藤木さんが5歳のときに、3歳年下の弟の耳が聞こえないことがわかり、そこから「聞こえるお姉ちゃん」になりました。
子供の頃から「“きょうだい児”としての自分の思いや考えを世に伝えたい」という気持ちを持っており、29歳で迷走しながらも弁護士になりました。
これが藤木さんの原点となっており、弁護士になって数年間は自分への迷いや壁、課題を感じながら体当たりの数年間だったと言います。
最近になって、講演やメディアで“きょうだい児”としての発信の場を設けることができるようになり、ようやく出発点に立てたと感じているそうです。
物心ついた頃から不安や罪悪感を抱えていた
お父さんが地元の弁護士だった藤木さんは、反発しながらも「父のために」「勉強を自分自身や弟、家族を差別や偏見から守りたい」という家族への気持ちと、「弟から何かを取ってしまったんじゃないか」という身代わり的な罪悪感が交錯(こうさく)した状態で、「私も弟も将来どうなるのか」「ちゃんと大人になれるのか」「幸せになれるのか」と不安だったそうです。
小学3年生から塾に通って、良い成績をとると両親は褒めてくれましたが、お父さんは自分の経歴から「弁護士になるのに学歴は関係ない」、お母さんは「お姉ちゃんがこんなにできなくても、その分弟に分けてあげれば」と、藤木さんの人格形成に大きな影響を与える言葉を言ったそうです。
ご両親に特別な意図がなかったとしても、当時の藤木さんは真正面から受け止めてしまった結果、反発や申し訳なさと同時に、歓迎されていないのだと受け取りました。
最終的には、不安や悩み・反発・申し訳なさも全て振り切り、踏み台にしてやるくらいの気持ちで、「どうせなら東大に行ってやる」「弁護士に受かるしかない」と受験にあわせて全力でアクセルを踏みました。
「困っている人を助けたくて弁護士になったんじゃないのか」
法科大学学院に進学し、27歳で弁護士試験に合格。その後、地元で父と働くか、就職するか大きく揺れ動き、お父さんと何度も言い争いになったそうです。
終活で弁護士を志した理由を尋ねられると、「弁護士の娘に産まれたから」「聞こえるお姉ちゃんだから」とは言えず、「父が弁護士なのがきっかけで…」と答えていて、場の空気を読んで本当のことを言えずにいました。
弁護士になってからも迷うことが多く、藤木さんは「周囲や社会の期待に応えることで、自分をまもるために弁護士になった」のが弁護士を目指した理由でした。
一緒に働くお父さんには、「好きで弁護士になったわけじゃない」という言葉をよくぶつけており、ある日お父さんから「和子は困っている人を助けたくて弁護士になったんじゃないのか」と言われたときに、認識の離れすぎていることにハッとしたそうです。
その後、二世や後継者を対象とする研修の説明会などに参加して前向きに諦めることにした藤木さんが。お父さんと一緒に数年間働いた後、結婚を機に実家も地元も出て、後継娘ではない自分の道を探すことになりました。
「誰かが私の人生に責任を取ってくれるわけではない」
だからこそ、その分は自分にしかできないことへのエネルギーに変えていければ理想的ですが。そのままでも仕方が無い場合もあります。
選択や関係は1度きりではなく、日々繰り返していく物。だからこそ藤木さんは、「自分で人生を選んで切り拓く良い経験だった」と考えたそうです。
“きょうだい”を知ってもらいたい
就職前、まだ藤木さんが学生だった頃に、「悔いのない決断をするために、可能性があることは何でもしよう」と考えて、「きょうだいの会」に駆け込んだことがありました。
すぐに「ずっと探していた場所だ!」「“きょうだい”としての生き方を教えてくれる場所だ!」とわかり、“普通の世界”で“普通の人”として頑張ることに「もう十分」と思うようになり、これからは“きょうだい”のために仕事をしていきたいと考えたそうです。
大人になった藤木さんが、当時の「聞こえるお姉ちゃん」だった自分に伝えたいことは、「自分の人生や幸せは自分で“選択”する権利があること」で、「兄弟姉妹の扶養などを含め、親や周囲、社会からの“期待”は義務や強制ではない」という出発点を、子供の頃のきょうだい児だった自分に伝えたいと言っています。
きょうだいも“期待”されるだけではなく、周囲や社会へ“期待”を持って、適切な形で伝えていってもいいのではないか。誰もがうまれて良かったと思える社会に繋がるために、自分の思いや考えを自由に言えるべきなのではないか。
藤木さんは現在、このように考えてさまざまな活動を行っています。
【参照】“きょうだい児”だったから弁護士になった私〜周囲の期待と自分の進路・職業選択〜|Sibkoto https://sibkoto.org/articles/detail/6
まとめ

SODAは、「聞こえるから」と言う理由で不平等・不公平を感じながら生きている方が多く、藤木さんのようにどこか不安や罪悪感を抱えていた方も多くいらっしゃいます。
聞こえる・聞こえない関係なく、誰もが周囲や社会に対して期待を持ち、考えていること・思っていることを自由に発言することができれば、より生きやすい世の中になるのではないでしょうか。