聴覚に障害を抱えていると、日常でさまざまな困難が立ちはだかりますが、そのなかでも自動車の運転は大きな壁です。
東京バスに勤める松山健也さんは、トラックドライバーからバス運転士となり、これまでさまざまな壁を乗り越えながら、ポジティブに夢と向かい続けました。
今回は、松山健也さんとは?どうしてバス運転士になったのか、聴覚障害者のドライバーの課題についてお話ししていきます。
聴覚障害の運転士、松山健也さんとは?

これまでの法律では聴覚障害をはじめ、さまざまな障害や病気を理由に資格を取得できない「絶対的欠落」というものが定められていました。

しかし2006年4月の法改正によって、絶対的欠格が定められていた資格の1つ、運転免許制度が改正されて、聴覚障害者の方も補聴器をつけて一定の音が聞こえれば、運転免許証の取得が可能になりました。
東京バスでバスの運転士として活躍されている、聴覚障害を抱える松山健也さんは、第二種運転免許を取得した現役のバス運転士です。
ここからは、聴覚障害者のバス運転士・松山健也さんについてご紹介していきます。
「マイホームを持ちたい」夢をかなえるためにドライバーに
バス運転士の松山健也さん(以下、松山さん)は、感音性難聴を抱えている聴覚障害者です。
日常では補聴器をつけて生活していて、会話の声、エンジン音、サイレンの音は聞こえていますが、会話の内容をはっきりと聞いて理解することが難しく、「たばこ」が「たまご」に聞こえるなど、間違った情報を受け取ってしまうことが多くあります。
松山さんがドライバーになったのは、「マイホームを持ちたい」という夢があったから。
マイカーで友人とツーリングした楽しい思い出もあり、バス運転手になる前にトラック運転手になることを目指しました。
家族からは心配され、反対されたそうですが、「どうしても夢に向かって頑張りたい」という思いを伝えてトラックドライバーになりました。
運送業に入社したとき、その会社にいる聴覚障害者は松山さんだけの状況のなか、4トンと10トンのトラックを、無事故・無違反で1年間運転し続けた実績が認められ、会社は聴覚障害者のドライバーをおおよそ10名まで増やすきっかけになりました。
そして人の輪は徐々(じょじょに)に広がり、松山さんは運転技術や荷の積み降ろしを指導するようになり、聴覚障害者のドライバーをまとめる役割を務めるようになります。
バスの運転士は小学生の頃からの夢だった
大型トラックの運転にも慣れてドライバーとして自信を付けたころ、松山さんは子供の頃に憧れたバスの運転士への道を志します。
バスの運転士が駅前のロータリーの路肩ギリギリまで寄せて、カーブに沿って曲がる時のハンドルさばきを見て「かっこいいな」と思ったことが、松山さんがバス運転手を志すきっかけだったそうです。
バスやタクシー運転手になるためには、「緑ナンバー」と呼ばれる二種運転免許が必要ですが、2016年4月の運転免許制度改正によって、聴覚障害者の方が補聴器を付けた状態で一定の音が聞こえれば、二種免許を取得できるようになりました。
「私はバス運転手になる新たな目標ができたことをうれしく思いました」と、後に松山さんはインタビューで語っています。
言葉の壁が立ちはだかる
バス運転士は、トラックのように荷物ではなく人を乗せて運びます。
そのため、聴覚障害者である松山さんに、口話ではうまく話せないという言葉の壁が立ちはだかりました。
バス会社の面接の時点で、会社側はこれまで聴覚障害者を受け入れたことがなかったため、戸惑いを隠せなかったそうです。
しかし松山さんは、自分からどのようにコミュニケーションを取って仕事を進めていくかを提案するために、海外のケースを参考にしながら勉強して、また自分なりのコミュニケーションツールを考えて、LINEでのやりとりや音声認識ソフトの導入などを提案しました。
しかし運転中にこれらのツールが使えないことを指摘されると、安全性を担保(たんぽ)にするのは難しいと感じたようです。
「夢をかなえてあげたい」東京バスは松山さんを採用
屈することなく転職活動を続けた松山さんは、2017年10月1日に東京バス株式会社へ入社します。
東京バスの社長と本部長、運行管理部の課長が面接を行いましたが、当初コミュニケーションの課題があることを考えると、採用は難しいと判断されていました。
しかし松山さんの情熱と努力に、社長は「彼の熱意を無にしてはいけない。それに彼は堂々と国家資格の免許を取得しているのだ。夢を叶えてあげたいから、みんなで協力してほしい」という決断を行い、松山さんを採用しました。
運転研修では、筆談器を使用してルートや右左折するタイミングを教えてもらい、2人の同期生と協力しながら研修を受けることができました。
松山さんのバス運転手デビューは、羽田空港リムジンバス、赤羽・王子から羽田線の運転でした。
このルートは運転席横に料金箱が設置されており、料金を入れる仕組みになっているので、乗客とのコミュニケーションは必須です。
いきなりこのような乗務に松山さん1人だけというわけにはいかないので、車掌によるサポートも行われました。
現在松山さんは、「できないでしょ」の概念を脱却(だっきゃく)しながら明日へ向かうべく、質問カードやプレートを用いながら乗客とコミュニケーションをとり、バス運転士として活躍されています。
【参照】日本初の「ろう者」のバス運転士がデビューし活躍中!|公益社団法人 日本バス協会 https://www.bus.or.jp/magazine/busstop29.html
まとめ

東京バス株式会社の松山健也さんは、感音性難聴を抱える聴覚障害者のバス運転士です。
これまで世間の「できないでしょ」に叩かれながら、前向きに夢に向かって確実に一歩一歩進んできた松山さんは、現在子供の頃からの夢だったバス運転士として活躍されています。
しかし聴覚障害を抱える方がバスを始め、自動車の運転を行う際は、コミュニケーションの壁が立ち塞がります。
現行の法律では、運転中の「ながらスマホ」は禁止されていますが、なんらかのルールやツールの導入があれば、より聴覚障害者のドライバーが増えるのではないでしょうか。