芸能界で活躍されている聴覚障害者の方も多いですが、そんななかで「我妻ゆりか」さんは近年話題となっている方です。
今回は、我妻ゆりかさんとはどんな人なのか。デビューまでの葛藤と支えられた人々の話をご紹介いたします。
我妻ゆりかとは?聴覚障害者のグラビアアイドル

2021年12月に1st写真集「わがままゆりかの天使な笑顔」を発売し、「補聴器をつけた天使」と話題になった我妻ゆりかさん。
現在ではその屈託のない天使のような笑顔と、美しいスタイルで多くのファンから支持を得ている我妻ゆりかさんですが、デビューまでは聴覚障害と葛藤しながら生きてきました。
ここからは、我妻ゆりかさんがグラビアアイドルになるまでの経緯や、我妻ゆりかさんの活躍によって支えられている人々の話をご紹介いたします。
学生時代は補聴器がコンプレックスだった
生まれつき感音性難聴を抱える我妻ゆりかさんは、3歳から「聞こえの教室」に通い、舌の動かし方など発声練習を行っていたことから、健聴者と変わりの無い会話が行えます。
しかし両耳に補聴器が欠かせない生活をしており、この補聴器が学生時代にコンプレックスだったとインタビューで語っています。
当時の我妻ゆりかさんは、「補聴器は自分の将来が限られてしまい、人生の幅が狭まるもの」とまで考えるほどのコンプレックスで、髪型は常に補聴器が隠れるようにおろし、補聴器も髪色と同じく黒色を選んでいました。
コンプレックスを抱えながらも、体を動かして人と関わることが大好きだった我妻ゆりかさんは、興味があるアルバイト全てに応募して、これまで居酒屋やコンビニ、イベントスタッフ、事務などさまざまな職業を経験してきました。
そんななかで動画投稿アプリのインターンシップに参加した際に、「写る側もやって」と言われたのをきっかけにはじめて写る側となり、自分を表現できる方法を知りました。
写真が自分を表現できる方法と知る
はじめて写る側となったときに、我妻ゆりかさんは「自分を表現できる、めっちゃ楽しい!」と思い、将来の自分を考えた際にモデルの仕事がしたいと考えました。
モデルの仕事で募集があったポートレートモデルや、動画投稿アプリで知り合ったヘアメイクさんの紹介でモデルの仕事をさせてもらえる機会もあり、写真は自分を表現できる時間で、耳が聞こえなくても自由を感じられるものだと楽しく感じられるようになっていきました。
今は撮影の際も補聴器をつけた状態で撮影していますが、当時は被写体になる際に補聴器を外していた我妻ゆりかさんは、「補聴器を外した状態で事務所に所属して芸能活動ができるわけがない」と思っていたそうです。
そんななか今のマネージャーと出会い、ある言葉をかけられました。
「いっしょに楽しい世界を見ていこうよ」
マネージャーさんは何時間もずっと我妻ゆりかさんに話し続け、自分を必要としてくれていると伝わってきたそうです。
その話の中で我妻ゆりかさんは、「実は耳に障害があって、補聴器を付けているんですが…」と切り出しました。
そうするとマネージャーさんは、「気にするようなやつはこの事務所にいないよ、いっしょに楽しい世界を見ていこうよ」と話し、我妻ゆりかさんが長年苦しんできたコンプレックスを受け入れてくれたそうです。
「この事務所に入ってこの人について行ったら、楽しいことがたくさんありそう!」と思った我妻ゆりかさんは、「あの雑誌に載りたい」「テレビに出たい」という夢を、これまでは聴覚障害のことでなかったことにしていましたが、事務所に所属してモデルになる道を選びました。
事務所所属後は楽しいことの連続で、今までに行ったことがない場所でのロケや、ヘアメイクさんにかわいい髪型にしてもらったり、スタイリストさんにいろんな服をきせてもらったり…。
さらに大きな経験となったのが、コンビニや書店に自分の写真が表紙になった雑誌が並んでいたことでした。
お母さんとは別々に暮らしていますが、お母さんのもとには我妻ゆりかさんが表紙の雑誌が保管されており、子供のころから大人になっても、ずっと側で支えてくれているそうです。
同じ聴覚障害を持つ方の支えになっている
芸能活動を始めてから、我妻ゆりかさんのもとには同じ聴覚障害者の方から「応援しています!」「頑張ろうという気持ちになれた」という声が寄せられるようになりました。
聴覚障害は、見た目ではわからない障害なので理解されにくく、聞き取れなくて聞き返したり、補聴器をイヤホンと間違われるなど、まだまだ聴覚障害と補聴器への理解は進んでいません。
そんななかで我妻ゆりかさんはインタビューで、「精神論や根性論を持ち出されてもどうしようもないこともある、理由があって皆ができているものが難しいこともあるのを、分かってもらえたら」と語っています。
聴覚に障害を抱えている方は「聞く」ということが非常に難しいので、例えば学校の合唱コンクールの練習の際に、「練習すれば上手になる」「もっと頑張ろう」という言葉がときに突き刺さることもあります。
その言葉が励ましではなく苦痛に感じる人もいるという、両方の人の気持ちを皆が考えることができれば、社会はよりよい方向に向くのではないでしょうか。
また障害を抱えていることに対して過剰に気を遣うのではなく、気軽に接してくれる、関わってくれるだけでも嬉しいと我妻ゆりかさんは言います。
困難が多い中で、夢を叶えて自分の目標に向けて進む我妻ゆりかさんの姿は、聞こえない方はもちろん、聞こえる方にも勇気を与えてくれます。
念願の一人旅も!我妻ゆりかの今後の可能性は無限大

我妻ゆりかさんは補聴器メーカーとコラボしており、次世代補聴器「オープン」を愛用しだしてからより活動の幅が広がったそうです。
仕事の合間に教習所に通い、運転免許証を取得するために頑張っている他に、あるとき「名古屋にある水族館に行きたい!」と思い立ってすぐに行動に移しました。
新幹線の乗り方を調べて、人生で始めて一人旅に行った旅先ではとても楽しい経験ができたそうです。
障害があることで「できない」と諦めてしまうことが多いですが、きっかけがあれば意識が変わる可能性があるということを、我妻ゆりかさんは教えてくれました。
誰かに話すこと、誰かを信じること、そして自分で行動すること。
何かアクションを起こせば、現状を変えられるかもしれませんね。今後も我妻ゆりかさんの活躍から目が離せません。
まとめ

当事者にとって障害は「個性」と思えないほど悩んでしまうことがあります。
コンプレックスとなって自分の可能性を狭めてしまうこともありますが、我妻ゆりかさんのように行動すること、信じること、挑戦することで、コンプレックスが「自分らしさ」に変わることもあります。
我妻さんの活躍は、障害を抱える人々の支えとなっており、今後も精力的にさまざまな活動をされるとのことなので、今後の活躍を楽しみに我妻ゆりかさんを見守りたいと思います。